かつて日本でもバッタの被害に苦しんでいた時期がありました。
海外においては、今なお蝗害に悩む多くの国々が存在しています。
これらをテーマにして、話を進めていきたいと思います。
明治時代に日本でバッタの大群が発生!その原因とは?
明治初期に北海道で、数回に分けてトノサマバッタによる被害がもたらされました。
事態を重く見た明治政府は、軍隊を動員し昆虫を相手に大砲で駆除にあたりました。
しかし、思うような成果は上がらず、人家の障子紙まで食べ尽くされ、道内各地で深刻な被害をもたらしました。
当時の記録によると、駆除の際に捕まえた数だけで360億匹を超えたそうですから、
実際の数はこれよりももっと多かったことが予測されます。
19世紀の後半から続いたこの被害は、14年後にやっと天候不良によって繁殖に失敗し、終わりを迎えます。
では、これほどまでにトノサマバッタが増殖したのはなぜでしょう?
それは、台風が直撃し、大洪水が起こった結果、イネ科植物が生い茂る草原が誕生したためです。
それに追い打ちをかけるように、その後数年間、好天が続いたため、繁殖しやすい環境となりました。
海外でバッタの大群が…!その発生原因は?
アフリカにおけるサバクトビバッタの蝗害の歴史は古く、聖書やコーランにも記録されているほどです。
2003年にモーリタニア、マリ、ニジェール、スーダンといった西アフリカで、大群が発生しました。
その群れは、130,000㎢もの想像を絶するような範囲に広がっていきました。
蝗害対策を担う国際連合食糧農業機関(FAO)の概算によると、農業における被害の総額(20ヶ国以上)は25億ドルにも上り、対策費として4億ドル以上が使われてきました。
被害は2005年に降水量が減少して、気温が低くなるまで続きました。
これほどまでに群れをなす理由はどこにあるのでしょう?
雨量が減少して食料が不足すると、幼虫は残された餌場を求めて集まってきます。
このようなたくさんの仲間に囲まれて育ったバッタの子どもの体色は、もとの緑ではなく、黄色や黒に変化します。
いわゆる相変異と呼ばれる現象です。
幼虫は成長すると、互いを引き寄せるフェロモンを放ち、群れを作るようになっていきます。
まとめ
バッタの大発生には成育環境の変化が大きく関わっていることが分かりました。
一刻も早く何かいい解決策が見つかればいいなと感じました。