バッタの大発生と聞くと、外国の出来事を思い浮かべてしまいますが、かつて日本においても悩まされていました。

今回は日本におけるバッタの大発生について、紹介していきたいと思います。

日本でバッタが大量発生したのはいつ?その理由や原因は?

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バッタの大発生により作物などが大打撃を受けることを、「蝗害」といいます。

明治初期に北海道で、2回も蝗害に見舞われました。

1875年(明治8年)9月27日、道東の太平洋沿岸を台風が直撃し、大洪水が起こりました。

その結果、ヨシやススキなどイネ科の植物が生い茂る草原が現れました。

その後、数年間天気に恵まれたため、トノサマバッタの大繁殖を招くこととなりました。

1879年(明治12年)から発生の兆しが見られましたが、本格的には1880年(明治13年)8月のことです。

翌年(明治14年)にも再び大発生し、この年は渡島国軍川まで進出しました。

当時の記録では、捕獲した数、なんと約400億匹とまったく想像もできません。

蝗害はその後も続き、1883年(明治16年)には道南の日本海側まで達することになります。

日本で大量発生したバッタへの対策措置は?

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この事態に対して、陸軍は大砲を撃ちこむなどしてバッタの駆除にあたりました。

しかし、民家の障子紙まで食い尽くされ、北海道の各地でとても大きな影響が見られました。

これから開発が進む予定だった、十勝国では開発が進んでいなかったので、大きな被害は出ませんでした。

1884年(明治17年)には延べ3万人のアイヌの人々が駆除に駆り出されましたが、それでも終息しませんでした。

北海道では翌年の予算に前代未聞のバッタの駆除費用を組み込むこととなりました。

しかし、1884年(明治17年)9月の長期にわたる降雨によってバッタの多くが子孫を残すことができませんでした。

蝗害は昭和の初期まで、その後も何度か起こっています。

まとめ

まさかこれほどまでの被害が出ていたとは思いもしませんでした。

開発が進み、生態系のバランスが崩れたところへ、天災に見舞われた結果、バッタにとって好環境が誕生しました。

天災とも言えますが、間接的には人災の要素も含んでいるような気がします。

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